成田発グアム行き、ユナイテッド航空の機内。
水平飛行に入り、機内サービスが始まった時のことです。
フレンドリーな白人のCAさんが、飲み物を尋ねてきました。
私が「スプライト、プリーズ」と頼み、コップを受け取ったあと、隣に座っていた娘はごく自然に、ただ一言こう言いました。
「ワラ」
CAさんは一瞬の淀みもなく、コップに水を注いで手渡してくれました。
その「Water」の響きは、私たちが学校で習うそれとは決定的に違う、まぎれもないネイティブの周波数でした。
ふと、搭乗を待つ列で見かけた親子の姿を思い出しました。
手をつないでいた2歳くらいの女の子とお父さん。
「パパと娘の二人旅か、いいな」と眺めていましたが、よく考えれば今の私たちも同じです。
そして、今「ワラ」と口にした娘が、ちょうどあの子くらいの年齢だった頃……19年前の光景が、鮮やかに蘇ってきました。
「この子たちをバイリンガルにしたい」
その一心で、私は仕事をリモートに切り替え、ビザを申請し、幼い二人の娘を連れてハワイへと向かったのです。
なぜ、私は「バイリンガル」というギフトを贈りたかったのか
特別な英才教育をしようと気負っていたわけではありません。
ただ、多くの親が子供にピアノやバレエを習わせるのと同じ、ごくシンプルな感覚でした。
「子供が英語を話せたら、きっと人生が楽しくなるだろうな」
「日本という国では、受験において英語が最強の武器になるからな」
そんな、ある種「やってみよう」という軽い好奇心と、親としての期待が入り混じった決断。
当時2歳だった次女と、小学校の宿題に挑み始めた長女。彼女たちを、日本語が一切通じない100%英語の環境へと放り込む。それは、一人の父親による「20年間にわたる壮大な人体実験」の始まりでもありました。
19年後の「答え合わせ」
結局、私たちのハワイ生活は予定を切り上げ、1年半という短期間で幕を閉じました。
「日本語も満足に話せないうちに、海外へ行くなんてけしからん」
そんな教育学者や専門家の言葉に、不安を感じなかったわけではありません。
しかし、あれから19年。
「遊び」として英語を浴びた次女と、「学び」として英語に挑んだ長女。
異なるプロセスを辿った二人の娘は、今、どう育っているのか。
一人はハワイのロコと間違われる発音を持ち、一人は独学でTOEIC 875点を叩き出し、さらには中国語のなまりまでも「耳コピ」で再現してみせる。
そして何より、成人した今でも、こうして父親と二人で旅を楽しんでくれる。
今回の旅でようやく完了した、20年越しの「答え合わせ」。
これから全15回にわたり、私が歩んだ試行錯誤の全記録をお話ししようと思います。
【第1部:決断とハワイ生活編】
- 第1回: 娘のために「ハワイ移住」を決めた日
- 第2回: 3歳以下なら問題ない? 現地の先生が教えてくれた「言語獲得」の真実
- 第3回: 突然話し出した「沈黙の期間(サイレント・ピリオド)」の終わり
- 第4回: 永住組の悩みから見えた「日本語と英語のトレードオフ」という現実
- 第5回: 4歳までのハワイ。本当はあともう一年居たかったけれど。
【第2部:帰国後の試練と教育論編】
- 第6回: 週1回の「アップル!」は無意味。私が選んだ英語環境の守り方
- 第7回: 小4で英検2級に挑んだ長女。試験会場のざわめきと、不合格の価値
- 第8回: 英語を一旦ストップさせる勇気。母国語以上のセカンドランゲージはない
- 第9回: 「チート」と呼ばれて。進学校で努力を積み重ねた長女の矜持
- 第10回: 代替案としての「英語幼稚園」。無償化と地方都市の可能性
【第3部:それぞれの開花と親の役目編】
- 第11回: 勉強嫌いの次女が、英語での大学講義で「A」を獲ってきた理由
- 第12回: 留学拒否!親の思い通りには育たない。でも、種は確実に根付いている
- 第13回: 高校3年生の覚醒。TOEIC 735点から始まった「数字」への挑戦
- 第14回: 京大生のライバルに敗れて。センスを「実力」へと変えた努力の跡
- 第15回(完結): 20年後の答え合わせ。娘からの「ありがとう」と、親が贈れる唯一のギフト

【次回の予告】
19年前、ハワイ移住。それは一人の父親による「壮大な実験」の始まりでした。
そこで目にしたのは、プレートごと食事を捨てる子供たちと、頭が痛くなるほど甘いカップケーキ。
言葉以前に、娘の細胞レベルで「ハワイ」が染み込んでいったあの頃を振り返ります。
▶︎ 第2回:3歳以下なら問題ない? 現地の先生が教えてくれた『言語獲得』の真実
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