ハワイでの1年半の生活を終えて日本に戻ったとき、私はどこかで「帰国したら、あとは元の生活に戻るだけ」と思っていました。けれど実際には、帰国はゴールではなく、むしろ新しいスタートでした。とくに子どもの学びは、単純に“日本に戻せば元通り”にはなりません。
長女が日本の小学校に編入したのは2年生のとき。まず目の前に現れたのは、「習っていないことは、やはり知らない」という当たり前の現実でした。社会や理科は、日本で同じ時間を過ごしてきた同級生たちに比べると知識の穴があり、最初のうちはテストの点も決してよくありませんでした。
とはいえ、この部分に関しては私はあまり悲観していませんでした。子どもは環境に慣れる力が強いですし、実際、長女も数か月のうちに学校生活のペースをつかみ、授業の内容にも追いついていきました。問題は別のところにありました。せっかく海外で身につけた英語を、日本でどう守り、どう伸ばすのか。 ここからが、帰国後の本当の迷走の始まりでした。
文部科学省も、海外から帰国した子どもについては「学校生活への適応」を図るだけでなく、外国における生活経験を生かす適切な指導が必要だと示しています。つまり、帰国後の課題は単なる学力の穴埋めだけではなく、海外で得た力をどう生かすかという視点そのものにあるのです。
帰国後の英語をどう守るか。親子で迷走した日々
日本の学校に戻ってすぐ見えた「学力の空白」
帰国直後、私がまず感じたのは、日本の学校教育の積み重ねはやはり大きい、ということでした。海外生活で得たものは多くても、日本のカリキュラムをその期間まるごと経験していない以上、抜けは必ずあります。社会の地名や歴史の流れ、理科で扱う単元の順番、漢字の定着。どれも「少しずつズレている」感覚がありました。
けれど長女は、そこで必要以上に落ち込むことはありませんでした。わからないことがあれば吸収しようとする姿勢があり、学校という集団の中で自分の位置を見つけるのも比較的早かったと思います。親としても、日本語での学習は遅れても取り戻せる、と実感できました。
むしろ不安だったのは、家の外で英語を使う場が一気になくなったことです。海外では、英語は「勉強するもの」ではなく「生きるために使うもの」でした。買い物をしても、学校に行っても、友達と遊んでも、英語は生活そのものに埋め込まれていました。でも日本に戻ると、その自然な使用環境がほぼ消えてしまいます。ここで何もしなければ、英語はあっという間に“できた過去”になってしまう。そんな焦りがありました。
英語を維持したいのに、合う教室が見つからない
帰国後しばらくは、いわゆる英語教室や個人レッスンをいくつも探しました。ネイティブ講師の会話教室、帰国生向けをうたうスクール、少人数のレッスン。情報を集めては見学し、体験に行き、何とか今の長女に合う場を見つけようとしていました。
でも、これが思った以上に難しかったのです。
英語教室にはそれぞれ良さがあります。ただ、海外で生活の中で英語を使っていた子にとっては、一般的な子ども向け英会話では物足りないことがあります。逆に、文法や受験向けに寄りすぎると、今度は言葉としての自由さが失われてしまう。どこかにぴったりはまる場所があるはずだと思っていたのに、実際には「悪くないけれど決め手がない」という感覚の連続でした。
帰国子女の語学維持を支援する取り組みが長年続いていること自体、帰国後の語学保持が自然には続かないことの裏返しでもあります。帰国後は、意識的に英語に触れる環境を作らなければ、せっかく育った力も少しずつ薄れていきます。
「帰国生向け」の看板に期待して、違和感で引き返した日
そんな中で見つけたのが、「帰国生向け」を掲げる英語教室でした。正直、見つけたときはかなり期待しました。帰国生向けなら、長女のように“ゼロから英語を始める”のではなく、“いったん使えていた英語を保ちたい、伸ばしたい”という子にも合うのではないかと思ったのです。
ところが、実際に足を運んでみると、そこには大きな違和感がありました。教室は大人数で、全体にざわざわした雰囲気。英語の時間のはずなのに、日本語の私語があちこちから聞こえてきます。もちろん、子どもが日本語を使うこと自体が悪いわけではありません。ただ、その場に流れる空気が、私たちが求めていたものとは違っていました。
私はそのとき、改めて感じました。「帰国生」という肩書きだけでは、英語力は測れない。 海外にいた期間や、どんな環境で過ごしたか、現地校だったのか、日本人コミュニティ中心だったのか、家庭内の言語は何だったのか。それによって、言葉の質も、英語に対する距離感も全く違います。
大切なのは、看板ではなく、中でどんな言語体験が起きているか。そう思い、その教室に通わせることは見送りました。
子どもに必要なのは「肩書き」ではなく、学ぶ空気だった
あのときの経験は、親として大きな学びになりました。私はつい、「帰国生向け」「バイリンガル対応」「ネイティブ環境」といった言葉に期待していました。でも本当に見るべきなのは、名称ではなく中身です。
子どもが自然に背筋を伸ばし、「ここで頑張りたい」と思える空気があるか。英語を話すことが特別扱いされず、でも軽くも扱われず、真剣に向き合える環境か。結局、英語力を伸ばす場を探していたつもりが、私たちが探していたのは、英語に誠実でいられる場所だったのだと思います。
帰国後の英語維持は、教材の問題だけでも、先生の国籍の問題だけでもありません。環境の質、学ぶ相手、積み上げの仕組み、そして本人の気持ち。その全部がそろって初めて、続くものになるのだと感じました。
小学生の居場所は、意外にも中高生向けの受験英語塾だった
そして最終的にたどり着いたのが、意外にも日本人講師による中高生向けの受験英語塾でした。普通に考えれば、小学生が通う場所ではありません。最初は私自身も、「本当にここでいいのだろうか」と半信半疑でした。
でも、先生にこれまでの経緯や、長女が帰国生であること、英語に対して前向きで、もっと高いレベルに挑戦したいと思っていることを丁寧に伝えると、特別に受け入れていただけることになりました。
ここで大きかったのは、講師が日本人だったことです。日本語で文法や語彙の違いを整理してもらえるので、感覚で使えていた英語が、少しずつ“理解して使える英語”に変わっていきました。海外経験のある子は、話す・聞くは強くても、書く・読むで急に伸び悩むことがあります。日本語で論理的に補助してもらえることは、思っていた以上に大きな支えでした。
小4で英検2級へ。不合格がくれた本気のスイッチ
まずは4級から。順調に積み上がった成功体験
塾に通い始めてから、長女は英語をぐんぐん形にしていきました。いきなり高い級を狙うのではなく、まずは英検4級からスタート。そこから3級、準2級と、一段ずつ着実に合格していきました。
この「段階を踏む」経験は、とても大きかったと思います。合格という目に見える結果は、子どもにとって大きな自信になります。努力すれば届く、届いたらまた次を目指せる。その流れができると、学びは親に言われてやるものではなく、自分で進めるものになっていきます。
英検のように目標がはっきりした試験は、英語を「何となく続ける」状態から、「今の自分の力を確かめながら伸ばしていく」状態へ変えるきっかけになります。帰国後の英語維持において、こうした節目があることは想像以上に大切でした。
英検2級は、小4にとってどれくらい高い壁なのか
「英検2級」と聞くと、英語に詳しくない方でも何となく難しそうだと感じるかもしれません。実際、2級は高校卒業程度の力が求められるとされ、日常会話だけでなく、社会的な話題や自分の意見をまとめる力も必要になります。
海外生活のある子は、会話の瞬発力では強みを見せることがあります。でも英検2級になると、それだけでは足りません。英文を正確に読み、論理的に書き、自分の考えを構成して話す力が必要です。つまり、「英語が好き」「英語が通じる」から一歩進んで、言語としての総合力が求められるのです。
当時10歳だった長女が挑戦したのは、まさにその壁でした。親の私から見ても、チャレンジとしてはかなり大きかったと思います。それでも本人は、怖がるより先に「やってみたい」が勝っていました。子どものそういう前向きさには、ときどき大人の常識が追いつきません。
試験会場に入った瞬間、空気がざわついた
試験当日、会場に長女を送り届けたときの光景は、今でもよく覚えています。教室には高校生や大学生らしき受験者が多く、張りつめた空気が流れていました。その中に、まだあどけなさの残る小4の女の子が一人ぽつんと座っている。場の空気がふっと揺れたように感じました。
「え、あの子も受けるの?」
そんな声が実際に聞こえたわけではありません。でも、周囲の視線や空気の変化から、ざわめきのようなものを私は確かに感じました。
親としては、少しだけ胸がざわつきました。場違いだったらどうしよう、本人が萎縮したらどうしよう、そんな気持ちもありました。でも当の本人は意外と落ち着いていて、いつも通りの表情で席についていました。その姿を見て、私は逆に背中を押されるような気持ちになりました。
初めての不合格。順調だったからこそ痛かった
ところが、結果は不合格でした。
4級、3級、準2級と比較的順調にきていたぶん、この不合格は長女にとって初めての大きな挫折だったと思います。努力しても届かないことがある。しかも、自分なりに頑張ったつもりの挑戦で結果が出なかった。その現実は、10歳の子どもにとって決して軽くありません。
親としても複雑でした。慰めたい気持ちもあるし、でも安易に「大したことないよ」とも言いたくない。本人にとっては十分に悔しい出来事なのだから、その悔しさを小さく扱ってはいけない気がしました。
今振り返ると、あの不合格はとても大事な出来事でした。順調に進んでいるときは、どうしても「このままで大丈夫」と思いやすいものです。でも、本当に力が問われる場では、自分の今の実力がはっきり見えます。そこで初めて、次に向けて何を変えるべきかが見えてくるのだと思います。
不合格は失敗ではなく、自走を始めるための燃料だった
不思議だったのは、長女がその不合格をきっかけに、前よりも明らかに真剣になったことでした。落ち込んではいたと思います。でも、ただしょんぼりして終わるのではなく、「次は絶対に受かる」と、自分の中で何かが切り替わったのが伝わってきました。
それまでの勉強は、どこかで「頑張れば受かるだろう」という余白があったのかもしれません。けれど一度落ちたことで、合格は自動的に手に入るものではないと知った。だからこそ、語彙の覚え方も、過去問への向き合い方も、英作文の練習も、以前よりずっと密度が濃くなりました。
数か月後の再挑戦で、長女は合格ラインを大きく上回る得点で2級に合格しました。その結果を見たとき、私は「あのとき落ちてよかった」とさえ思いました。もちろん、その瞬間の本人にはつらかったはずです。でも、あの不合格がなければ、ここまで自分で走る力は育たなかったかもしれません。
子どもをバイリンガルにしたいと願うとき、親はつい「できるだけ失敗させたくない」と思います。私もそうでした。でも実際には、失敗を避け続けることより、失敗を意味のある経験に変えられることのほうが、ずっと大切なのかもしれません。
ハワイで身につけた英語は、帰国後そのままでは残りませんでした。環境が変われば、言葉も揺れます。迷走もしましたし、遠回りもしました。でも、その過程があったからこそ、長女は「与えられた環境で英語ができる子」から、「自分で英語を伸ばしていく子」へと変わっていったのだと思います。
そして今、あの日の試験会場のざわめきを思い出すたびに、私はこう思います。目立つ挑戦には、目立つ結果だけが価値なのではない。たとえその場では不合格でも、そこから先の歩き方を変えるなら、それは十分すぎるほど価値のある経験だったのだと。
